2011年9月12日月曜日

5.5 インド人の仕事スタイル : インド人の頭の固さの秘密


インドで仕事をすると必ず感じる 「インド人の頭の固さ」。 インド人は賢くて頭イイんだけどアホかと思う事の連続だった様な気がする。 (インド人の読者の方、ゴメンなさいね、決して悪く言っている訳ではないのです。)

インド人の行動を制限する固定観念とは何か (日本人から見ると)、、

ひとつは、ヒンドゥー教による固定観念、これはかなり硬い。 例えばベジタリアンによる食物の制限。 多くのベジタリアンは牛乳、チーズはOKのようだが。 インドは総じて固いルールをユルく運用する。 まあ、いい加減なところが良いんだけれど。。

ヒンドゥ教徒の90%は30歳までにお見合い結婚するという結婚観、20代若者の性的な抑制。 30歳手前の若者が日本の高校生のような3対3のグループ交際をしているのを見ると、なんじゃこりゃと思ってしまう。

もうひとつは、日本人には見えないカースト制の縛りだ。 インドで働いて一年経ったくらいからだんだん、もしかして、と思うようなことがはっきりしてきた。

先ず、インド人の友達というのは基本的に同じカーストだ。 結婚式に呼ぶ友達は同じカーストで、社交辞令で会社の全員に結婚式に来てくださいというメールが来ても、違うカーストの結婚式に行くことは100%無い。  インド社会ではカーストによる差別は撤廃するよう法律ができているそうだが、カーストが無くなった訳では無い。  インド人はもう名前(姓)でカーストが分かるそうだ。  会社で女性陣が数人ずつテーブルに分かれて休憩している、これはカーストで分かれていることにある日気がついた。 仲の良い友達=同じカースト ということだ。

カーストを乗り越えて結婚した人もいるにはいるが、周りのウケが超悪い。 また、職場の和というのは同じカーストで構成されない限り、物凄い軋轢が生じる場合があるようだ。  特に女性の職場で顕著だ。  カースト下位の仕事ができる女性とカースト最上位の仕事ができない女性の組み合わせは、 日本人に見えないところで強烈にやり合っている場合がある。 これは人を入れ替えるしか無い。

以前のインドでは同じ職種に違うカーストの人が混じるということは有りえなかったが、IT関連企業では完全に能力主義なので優秀な下位カーストの人が採用される。 日本人から見ると何故?というような職場の些細な出来事の背景がカーストの違いに起因している場合があるようだ。

そして更にインド人の頭が固いと思わせるのは、日本人ならさっさとやってしまう事を絶対しないインド人だ。  これには、最初日本人は戸惑う。  出来るのにやらない理由は、絶対的な指揮命令系統だ。 これは会社というよりもヒンドゥー教に基づく社会通念というものかもしれない。 上から言われた事以外の仕事を決して自分で判断してやる事はない。  上からの指示には絶対服従だ。 このまま行ったら絶対失敗すると全員が思っていても、破綻するまで前進する。 それがインドのやり方なのだ。  カースト最上位の人の中には全体を見て適切に行動出来る人がいるらしいが、ほとんど出会う事は無い。

何か問題が発生した場合、日本人はその対応を優先するが インド人の場合対応指示が出無い限りルーチンワークを淡々とやっている。  これがインド人の対応の悪さなのだが、通常上司もその上の指示を仰がないと部下に対応指示が出来ないので、日本人なら5分で終わる対応が2,3日はかかると諦めておいたほうが良い。  インド社会そのものが巨大な歯車でユックリユックリ回転しているので、何があろうともその回転を止める事ができない、そんな感じだ。  

インド人の担当者も困っている日本人を何とかしてあげたいと思っている(と思いたい)が、非常に狭い細分化された職種によって個人で対応出来る範囲が狭いので出来ない、上司からの指示以外の事はできない、と言った方が良いかもしれない。  それが時に日本人からは出来るのにやらないという風に見え、イラつく事になる。

こういう場合の日本人に対する最も簡単な処方箋は、自分もインド人になるという事だ。 インド人になった瞬間、問題が問題で無くなる。  問題が単なる今起こっている事実に変わる。  その事実に対して、出来る事はやるし、出来ない事は出来無い。  問題は主観的だが、事実は客観的だ。 インド人は特に仕事においての事象に客観的、観照的だ。   さすが瞑想大国だ、日本人とっては、日々瞑想的な修行の場が与えられる。

【今日の写真】
ある日散歩していて出会ったおじいちゃんと孫。 インドの子供はどうしてこんなに目が大きくて可愛いのだろうか。  ところで、このおじいちゃん、もしかすると自分より年下かもしれない。。

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